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スペシャルインタビュー 大平雅美さん どんな経験も自分の栄養に 無駄なことは何一つない 【前編】

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一般企業に就職したものの、「アナウンサーになりたい」という夢を捨てきれず、NHK高松放送局を経て、テレビ東京のアナウンサーに転身。異例のステップアップを成し遂げたフリーアナウンサー、大平雅美さん。テレビ東京の長寿番組L4YOU!(レディス4)のレギュラー出演に加え、色彩コンサルタントや大学客員准教授としても活躍する彼女の生き方に迫ります。Img_6579c

秘書課に勤務した新卒時代

学生時代からアナウンサー志望でしたが、準備不足のまま試験を受けていたため最終まで残っても採用には至らず、夢は叶いませんでした。地元香川の両親の勧めもあり、四国電力に入社し、秘書課に配属。まだ女性社員が少ない中、秘書課の先輩は厳しくも素敵な方ばかりで、私のロールモデルになりました。
全国から一流の方々をお迎えする際、お客様にとって私は“新人”ではなく“社員”。挨拶などの礼儀や接客マナーは厳しく指導されました。お客様にお茶を出したときは、お客様が帰られた後、先輩が応接室の状態や湯のみの下の茶托をチェック。水滴がついているとものすごく怒られたり、コピーの取り方もダメ出しされたり…厳しくも温かい先輩方でした。今も秘書課時代の経験が人と接するときの基本となっています。
しかし、4年働いても「アナウンサーになりたい」という思いは消えませんでした。当時は大企業を辞めて転職する人はほぼ皆無で、両親も大反対。私の意志は固かったのですが、アナウンサーになれる人は限られている…どうしようと思っていた矢先、NHKの地方局のアナウンサー試験があることを知りました。

夢を叶えたものの、世間からは厳しい評価

運よくアナウンサー試験に合格し、意気揚々とアナウンサー人生を始めた途端、壁にぶつかりました。番組の感想など、アンケートに回答する社外モニターからの評判が芳しくなかったのです。「素敵な新人が入りましたね」とはならず…「暗い」「元気がない」とマイナスの言葉が並びました。
昭和の終わり頃は、メインを務める女性アナウンサーはまだまだ少なかったんですが、草分け的存在のNHK宮崎緑さんはいつも黒や紺のスーツを知的に着こなしていて、格好よかった。私も“アナウンサーはこういうもの”と思い、彼女の真似をしていたんです。この思い込みの真似が視聴者に受け入れられない原因だ、と先輩方が分析してくださり、「大平はこのままじゃだめだから、まず外見を変えよう」と指導していただいたんです。
そこで、フレッシュで明るい色のブラウスやセーターを着て、きっちりメイクからふんわりメイクに変え、普段通りの笑顔をふやしたら、モニター評価がなんと急上昇。ファンレターも届くほどになり局内は急激な変化にびっくりでした。この辛かった時の「外見は評価を変える」という気づきが、色彩の勉強を始めるきっかけになりました。

地方局からキー局へのステップアップ

NHK高松放送局は活気のあるよい職場でした。当時の香川県は、瀬戸大橋の開通、高速道路建設、空港開業の3大プロジェクトがあり、東京からエースクラスの精鋭が送り込まれる場所。彼らのすばらしい仕事ぶりを間近で見られて、マスコミが自分の天職だと改めて感じました。
昭和から平成に移り変わるバブルの時代で、女性キャスターが増えるという確信が私にはありました。そして、テレビ東京で募集していたアナウンサーの中途採用にチャレンジし、地方局からキー局へステップアップ。回り道して、やっと夢にたどり着いた。この時私は28歳でした。

思い返すと、社会人の第一歩だった四国電力の秘書時代に、人から好感を持たれるふるまいを身につけられたのは大きかったと思います。人生最初から思い通りにいく人は少ない。思い通りにならなかったのは、むしろ感謝です。自分に足りないものがあるからもっと勉強しなさい、鍛えなさいというメッセージでもあるんですね。自分のキャリアは、たとえ回り道しても一つの道として続いています。思い描いた人生と違っても、その時その人には必要なこと。無駄なことなど一つもなかったと今だから思えます。

後編では、大学での講義や『通販番組に学ぶ「話し方」人の心をつかむ1分間ルール』についてさらに伺います。

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大平雅美さんの近況・今後のスケジュール

2016年1月29日(金) ~美人になる!3ステップ~(東京・池袋)

大平さんと素敵な女性達によるセミナーです。詳細・お申し込みはこちらから

公式サイト 大平雅美colors&voice

大平さん本画像

近著 『通販番組に学ぶ「話し方」人の心をつかむ1分間ルール』(大平雅美著)実業之日本社

 

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