ハピゴト ~あなたのお仕事に、もっとときめきを~

今、目の前にあることに手を尽くす。 暗闇でもがく日々から流れを変えた秘訣とは 林真紀さん

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二人の子どもを持ちながら、現在フリーランスの翻訳者として活動している林真紀さん。大学院在学中に妊娠・出産したことから、まず職を手にするまでが大変だったと言います。就職後も「派遣社員」という肩書きにコンプレックスを抱きながらも道を開いていった彼女。そこには女性ならではの「しなやかさ」がありました。

出産、そして産後うつ…就職先さえ見つからない現実

第1子の長女を出産したとき、私は29歳の大学院生でした。産後は体を休める時期なのに、「博士論文を書かなくちゃ」という焦りから産後一週間で学術書を読み始めて。娘は3ヶ月で保育所に預けて、夜中に論文を書くような生活をしていました。そうしたら、緑内障になってしまって。その後、さらに不眠になりました。娘のほうもしょっちゅう保育所で病気をもらってきて、一週間おきに熱を出すような生活。ほとんど研究も進まないし、無理がたたって結局一年後に産後うつになってしまったんです。

夜中に悪夢を見て、叫ぶような状態がずっと続きました。肩こりがひどくて吐き気がするほどになり、座っていることすらできなくて。結局、大学院も辞めざるを得なくなりました。

子どもを抱えながら、「新しいキャリアを」と就職先を探し始めましたが、当時私には職歴がない状態。ハローワークに行ってもまったく相手にしてもらえないし、派遣会社の内部選考にすら通らない状況でした。「私は労働者としての価値はゼロなんだ」と愕然としましたね。大学院で一生懸命勉強しても、就職活動ではまったく加味されない。だったら大学院に行かず、就職しておけば良かったと、人生で初めて後悔したり。「残業できますか?」と聞かれても、「子どもがいるからできません」としか答えられないし、精神的に追いつめられました。今思い出しても、一番つらい時期でしたね。

初めての就職、でもまだ何か違う…。悶々と悩む日々

30歳になった頃、ようやく初めて就職できました。子どもを持つ女性がなかなか仕事が見つからないことに疑問を持った方が立ち上げた小さな派遣会社があることを知り、そこに登録してすぐ、紹介してもらったところです。

就職先は、アメリカやヨーロッパの軍需産業や航空宇宙産業にねじやコネクタなどを作って輸出する中小企業でした。「英語のメールを書くだけ」と聞いていましたが、実際働いてみると、技術者に読ませるために海外の論文や仕様書、契約書を翻訳する仕事でした。専門的な知識がないとめちゃくちゃな訳になってしまうので、社員のミーティングを聞きながら「これはこういう意味なのか」と勉強する日々。電話で話しているのを聞くだけでも勉強になりましたね。「翻訳って、英語力だけではなく調査力も必要なのか」とわかって、それで一気に好きになりました。

その一方で、「派遣社員」という立場には不満が募りました。周りからも「大学院に行って派遣社員?」と言われるし、両親も「奨学金まで借りて大学院に行ったのに、派遣社員でいいの?」と…。大企業で働く同級生と比べてしまい、「自分のいる場所はこんなところではない。早く辞めたい」と思い始め、昼休みは毎日転職サイトを見ていました。職場では大事にしてもらっていたし、いい仕事をしていたのに、全然感謝できていなかったんです。

そんなときに主人から、「こんなに立派な仕事をしているのに、なぜコンプレックスを持つの?」と聞かれて。「自分のことを派遣社員と言うけれど、翻訳者って名乗ったら?」と言われたんです。その言葉にハッとしました。自分のアイデンティティは、自分で決められる。私は翻訳者だ、ウソではない、と。そして、そう名乗るようになりました。

そこから流れが変わりました。「日々の業務は、将来につながる修行だ。この道で食べていくとき、『翻訳歴何年』と加算できる」と思ったら仕事が楽しくなって。結局、4年ほどその会社でお世話になりました。

転職、そして独立。「流れ」が変わって波に乗れた

二つ目の職場は、大学の研究室でした。福島の放射能の拡散の研究をしているところで、海外で発表するために翻訳者がどうしても必要だと。そこでは研究者と密に関わる仕事だったので、大学院に行ったことが役に立ったなと感じました。

一歩前進したと感じる一方で、いつか独立したいという気持ちも芽生え始めて。二人目ができたこともあり、今後のキャリアプランを考えたときにフルタイムで働き続けるよりは、フリーランスで…と思ったんです。でも、顧客もいないのに独立するのは無謀かなと、あまり現実的ではないと捉えていました。

そんなとき、たまたま15年ぶりに仲間と会う機会があったのですが、そこに研究所の主席研究員の方がいらして。話をしていると「あなた、もっと活躍していいんじゃない? 僕のところにいっぱい仕事があるから、独立してよ」と言われたんです。そこからはトントン拍子! 海外調査や海外の資料を翻訳して、報告書にまとめる業務で、翻訳も調査研究もできるという私にとって理想的な仕事をいただけるようになりました。何年も研究していたキャリアを活かせることが本当に嬉しかったですね。

後から知ったのは、翻訳を仕事にするには、派遣で翻訳者になり、ある程度キャリアを積んでから独立するのが近道だということ。私はたまたまそうでしたが、「正社員じゃないと」とこだわっていたら、今の人生はなかったかなと思っています。

「引き寄せたものを大事にする」。その先に必ず道がつながる

必ずしも、理想の仕事や雇用形態につけるとは限らないし、難しいこともあると思います。でも、そんな中でも目の前にあることに一生懸命取り組むことが大切なのではないでしょうか。仕事も、育児も同じ。そうやって、少しずつでも毎日を動かして行く中で、流れが変わっていく。子どもも大きくなるし、自分自身のキャリアもそう。だから、どんな状況でもふてくされず、自分を卑下しないでほしいですね。私も「あなたが産まれたから私はこうなった」と子どものせいにはしたくなかったですし、ずっとそんなふうに思ったままでいるのは嫌だった。主人の「翻訳者と名乗ればいい」という言葉で、すべての流れが変わったので、主人には感謝してもしきれません。

今は、仕事と家庭両方をうまく回していくことを最大の目標にしているので、それ以上多くを望まないようにしています。主人はシステムエンジニアで残業が多いので、子どもの面倒はなかなか見てもらえない。だから「全部自分で」という覚悟でやっているんです。食事はレトルトのお世話になりながら、一品軽く作ったり、週末は子どもと一緒にゴロゴロしたり。上手に手抜きして体を休めるようにしていますね。

これからもフリーランスで翻訳者を続けながら、落ち着いたら翻訳の専門学校に通いたいと考えています。これまで実務を通してやってきたので、翻訳の世界のルールをちゃんと学びたいな、と。そしてこの先もライフワークとして、60歳、70歳になっても続けていきたい。今はそう思っています。

 

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